「米沢のさしこ」その歴史

刺し子は、近年ではあまり見られなくなった技術の一つです。布地に糸で模様を刺したり、布を重ねて縫い、布を丈夫にしたりする機能と布の保温機能を高めます。最初は単純な並縫いだったものが、次第に模様が作られるようになり、それらの模様には人々の願いが込められ、一種の信仰的な意味合いも持つようになりました。模様を作るようになったことで、技術は複雑になり、非常に手間のかかるものになりました。

 「原方刺し子(はらかたさしこ)」は、米沢藩の「原方衆」と呼ばれた武士の妻たちが始めたとされる、伝統的な刺し子です。関ヶ原の戦いの後、上杉家が米沢に国替えとなり、一部の武士は米沢城下から離れた郊外で、半農半士の生活を送ることになりました。彼らを「原方衆」と呼んだといわれています。着る物も十分にない中で、布を重ねて縫い合わせることで、暖かく丈夫になるようにと生み出されたのが、原方刺し子の元だと考えられています。

 その後、原方刺し子は、六角形の枠の中(亀甲)に、自分の願いや意味を込めた様々な幾何学模様を縫い込むようになります。模様は約六十種類あるとされていますが、現在確実にわかるのは、約三十種類になっています。また、他所の伝統的な刺し子と差があるのは、くぐり刺しといわれる技法です。布の表面を這うように運針させる独特な技法です。
 模様には「麻の葉刺し」「米刺し」「銭刺し」などがあり、魔除け、米やお金に困らないようになどの願いが込められています。
 原方衆の妻が刺したといわれる「花ぞうきん」は原方衆の武士の妻の誇りを象徴し、原方衆の家の玄関に飾られていたと伝わっています。そのため、この原方刺し子は原方衆の妻のみが許された限られた伝承でした。

 しかし、原方刺し子の歴史を裏付ける文献は乏しく、名称も現代になってからつけられた可能性があります。研究は限られ、資料の発見も困難ではありますが、古くから米沢に根づき、伝承されてきた大切な技術です。

山形大学 学術研究院学士課程基盤教育院 阿部宇洋

花ぞうきん
関連書籍
米沢市伝統技術「原方刺し子」の詳細記録の作成と図案の研究
阿部 宇洋 編 令和2年(2020)2月発行

原方刺し子 伝承者の紹介


遠藤きよ子 (米沢さしこの会 名誉会長)

長年、原方刺し子の伝承者として意欲的な作品を制作され発表をされて来ました。それらの作品は、世界中で高く評価され、国内でも多くの賞を受賞され美術年鑑にも名を残されています。また、後進の指導にも尽力され多くの方に惜しみなくその技法を伝承され、海外でのワークショップも開催されました。
2024年11月、惜しまれながら さしこ工房「創匠庵」を閉鎖されましたが現在も、きよ子先生の愛称で多くの方に愛されています。2025年4月、原方さしこの伝統を守りつつ、新しいさしこの世界を創って行こうという仲間が集まり米沢刺し子の会が発足しました。遠藤きよ子氏は、名誉会長に就任されました。